弁論大会で弁論する意味はあるのでしょうか。
本大会でも問われたこの問いに対して、私は一つの答えを持って、ここに臨んでいます。
それは、「弁士と弁士が出会うこと」、それが弁論大会で弁論をする意味であります。
従来弁論は、想定する聴衆を一般大衆、つまり国民或いは世界市民といったものを想定します。しかしながら、弁論大会に来る聴衆は想定される聴衆とはかけ離れています。国民には弁論経験者はこんなにはいません。
そこが、弁論大会の意味か疑われる点であり、意味のある点でもあります。
限られた、特殊な聴衆に訴えかけた所で、世界は一ミリも変わらないのです。しかし、考え方を変えれば世界を一ミリ変える弁論大会にすることができます。
ここにいる聴衆の多くは、弁士であったことがあるかこれから弁士になる人です。
弁士は、演壇に立って、独自の問題意識を抱えて、現状を分析し、解決策を捻り出す。
そういった経験があれば、人の弁論を聞けば思うことがあるでしょう。
その思うことを弁士にぶつけること、つまり対話が弁論大会における意義です。
対話によって不完全な論をより完全なものに、現実的なものに、実現できる物にしていく。
そういう営みによって我々は世界を一ミリ変えることができるのです。
しかし、この弁論大会における対話、というのは十分なものではない。
弁論大会にある対話は次の3つ
1.野次2.質疑3.レセプションなどでの会話
これらには3つの問題があります
1.記録には残らない
2.翌日以降続かない
3.あくまでも弁士と聴衆との対話を前提としていて、聴衆同士では対話がなされない
形に残らなければ、議論したことが無駄になってしまうかもしれない。
1日だけの議論では殆ど進まない。
聴衆同士もまた弁士同士の対話だ。
これらの問題点に対して一つの解決策を提示します。
続きはウェブで議論しよう。
パンフレットをご覧ください
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ブログには原稿を載せておきます
ブログはログイン不要でコメントできます。
また、本日は質疑応答に代えて、新しい試みとして、ツイッターで意見などを募集します。
(ハッシュタグ)#福沢杯天野 と付けてツイートしてください
また、鍵垢だと見れないことがあるのでご了承ください
実況などにお使いください
弁論中に呟いて頂けると、直ぐに回答出来るので助かります
今のうちにツイッターの準備をお願いします
さて、本題に入る前に長々と申し上げた理由がございまして、本弁論の目的が、従来の物とは違うからです。
従来の弁論は、「このような問題があって、これをすれば解決できるからやりませんか」という政策の実現を説得することを目的としたものです。
しかし、本弁論の目的は、「
自由と平等を実現する為には、相続制度廃止は必要だ
しかし、十分ではない。その為にどのような世界にするのか対話を通じて導きませんか」
という対話ありきの弁論です。このような対話の場を設けることが必要だったのです
さて、本弁論に移ります
皆さん、「嫡出子・非嫡出子問題」ってご存知ですか?
分かりやすく言うと、戸籍上の子供と愛人との子供で相続される割合が2:1であるという決まりがあったという問題です。
既にこの条項は法の下の平等に反するということで、違憲判決が出て法改正されました。
確かに、親が婚姻関係にあるかないかで貰える額が二倍も違うなんておかしい。是正されるべきだ!
あれ?でもよく考えてみてください。
相続できる額が二倍どころじゃなく違うこともありますよね?
貴方の親父さんが孫正義だったらどうですか?純資産2兆6000憶円だったらどうですか?相続税引いても1兆円来ますよね?
えっ、一兆円!?
その人から産まれただけで一兆円??
皆さんいくらぐらい相続します?
1億もないですよね。
2倍どころじゃないですよね?
流石に不平等ですよね!!!
是正されるべきじゃないですか?
平等である為になんらかの政策をうつべきではないですか?
平等、産まれた境遇によってスタートラインが変わらない状態にしなければなりません。
天は人の上に人を作らず、先生もこう言っています。
この平等を、相続制度は妨げているのです。相続制度は親の仇であります。相続制度は廃止せねばなりません
今は平等ではない。→親がいくら稼いだのかがそのまま子に受け継がれてしまうからだ→これは不当である→廃止すべきだ。
そういう訳で、私は相続制度そのものの廃止を訴えます。
とはいえ、平等を実現する方法というのは、勿論相続制度廃止、簡単に言えば相続税100%化以外にも方法はあります。
例えば、私有財産を認めなければ、平等は実現されます。
しかしながらこの制度、働くインセンティブがなくて実現は困難なんですよね。
第一、働いても働いても何も褒美をくれないのは、これもおかしい。
よく働いた人とよく働かなかった人が同じ扱いなのは寧ろ平等ではない。
真の平等というのは、産まれたときのスタートラインは皆同じだけど、努力した分だけ報われる状態だ
先生も『学問のススメ』で似たようなことが書かれてある。
そこで私が提案する妥協点が、生きている間は私有財産を認めて、死んだら没収する。
死んだ後も金を持っていたってあの世には持っていけませんからね。
マルクスは平等な社会にするには、革命を繰り返す他ないと言ったらしいが、そんな余裕も気力もないし、効率的ではない。
それでも私財の蓄積が認められる以上、定期的なリセットはされる必要がある。なれば、制度に組み込む他はない。
どこでリセットしたらいいか。死ぬときじゃないですか?
親が何者かに拘らず我々は何の不自由なく過ごせなければならないのです。
しかし、勿論、相続制度を廃止さえすれば、平等を実現出来るかというとそうではありません。
相続制度廃止は必要条件であって、十分条件ではないので、ここに手を加えていく必要があります。
ではどんな手を加えるのか
ここで、私が提案する補正案は、私的扶養の廃止、分かりやすくいうと、両親が実の子を育てるといった義務をなくして、国が一括して子供を育てようという提案です。
相続制度の廃止は、親が亡くなった後、残った財産を分配する段階においては、平等にすることはできますが、生きている間については平等にすることは出来ません。
親は生きている間も当然子に色々な物を与えます
飯を食わせ、服を着せ、幼稚園や保育園に通わす。
幼児教育に手を出し、習い事をさせる。
学校の他に塾に通わすかもしれない。
或いは何もしないかもしれない
今回の相続制度廃止の理念、親が何をしたかに拘らず、スタートラインを一致させること、を考えればこの私的扶養義務をなくして公的扶養、つまり政府による育児制度の確立をするべきであります。
とはいえ、この親から子を引き離すような政策、無謀にも聞こえます。
では、私的扶養をなくすことはどのくらい妥当なのかについて、説明します
そもそも、実の親が育てなさい、経済的負担も肉体的負担も貴方が負担しなさい。という在り方に問題があります。
例えば子育てに求められる四つの要素が全て揃っているというのはまずあり得ません。
出産能力があり、子育てをする時間、金銭、そして知識を兼ね備えていることはないのです。
出産能力を考慮して二十代の夫婦を想定しますと、働き盛りですね。最近は働き方改革で女性も働いていて、共働きだったりします。子育てをする時間的余裕はない。しかも、年功序列であったりして収入は十分ではなかったりする。
その上、彼らは育児経験もなければ学校で勉強している訳でもない。
時間も金もない若い育児素人に育児を任せることが、上手く行くはずもなく、現在少子化が進んでいます。
しかも、そもそも、育児には向き不向きがあります。
例えば児童虐待なんかありますが、子供を設ける時点で、「よし我が子をボコボコにするぞ☆」と意気込む人は稀で、どうしようもない理由で虐待に及んでしまった、ということが大半です。
虐待しないようにね、なんて言われても土台無理なわけです。育児自体が向いてないので。
でも、育児は無理!だなんて言えないんですよね。世間体が怖すぎて。自分では分かってても、児童相談所なんかに逃げ込めないんですよ。親なら皆やっている、育児が出来ない自分など、人間失格の烙印を押される。それで困るのは他ならぬ子供です。育児が向いてない人が、親から降りれるようにしてやる為にも、スタンダードを「育児を皆やる」、から「育児は専門家がやる」に変えないと行けないんです。
特定の個人に義務付けられてるのは、非常にまずい。
両親の仲がずっといい保証はない。
喧嘩やDVの絶えないこともある。
離婚に至ってしまうこともある
子育てが終わってもこの呪縛は終わらない。親が介護が必要になったらどうするのか。子供が介護をしてたら彼等の人生は大変なことになる。誰かに頼むとなっても金がない。これも国が担うべきだ。
家族という小さな単位で完結させようとすることは非常にリスキーだ。
そういうことを考えても私的扶養の廃止は妥当だと思う。
だから今日主張する政策はこの2点
一つ目、平等の実現には相続制度廃止は必要だ
二つ目、相続制度廃止に伴って私的扶養も廃止すべきだ
以上
さて、一通り私の主張はしました。
しかし、私が一方的に話したところで皆さんの理解が完全になることはありません。
皆さんの理解は、対話なくして完成することはありません。
今回、対話を実現する為に、質疑を工夫します。
本弁論では質疑に代わり、ツイッターハッシュタグを用います。
この形式には、4つほどメリットがありまして
1記録に残ります
2聴衆間でリプライが送れます。
3ここハッシュタグなツイートした人同士でフォローしあえばこの先も議論を続けることが出来ます
4多くの観点を、より短時間で共有することができます。
30分になるまでは採点の対象ではありますが、これから先もずっと、求められれば対話に応じていくつもりです。
今聞きたいこと、今いる聴衆にも示しておきたいことなどあれば、ぜひ今質問していただければ幸いです。聞こえぬ野次、明日には忘れる長質疑、貴方の思いを140字に込めて欲しい。その思いが未来の礎になることを祈って。
弁論は以上です。では、質疑に移りましょう。
質疑が終わるタイミング
そろそろ30分が経ちそうです。
今回の目的は、「相続制度廃止」という不完全な提案に結論を出す為に、弁士同士の対話をすること、それが本弁論の意義でありました
勿論、対話は30分で終わる程簡単な問題はありません。
本弁論に限らず議論が続いていくことを願い、弁論を締めさせていただきます、ありがとうございました