新弁で敗北した原稿

一票の格差死票、我々の使っている選挙制度には問題がある!是正する方法を見つけた!聞いてくれ!

 

今、政府も是正しようとしている。しかし、やり方が違う。彼らはただ選挙区を伸び縮みさせるだけでなんとかしようとしている。それでは正確に一票の価値を等しくすることは出来ないし、仮に出来たとして人口分布は変化していくのだから常に手を入れないと無意味になる。しかも選挙区をどこで切るかという判断には恣意性がある。百害あって一利なしではないか。

 

私は別のところに注目した。議員は議会で一人一票行使できる、いや、一票しか行使できないのだ。彼に投票した有権者の数はそれぞれなのに何故等しく一票なのか!有権者の数だけ票を持つべきだ!これが私の主張である!

 

とはいえただ現行の制度で議員の持ち票だけ変えてもうまくはいかない。まずは当選落選の概念を取っ払い、新しい手法を取り入れる!

 

得票数そのものが意味を持つ本政策では当選したか否かのラインには意味がない。とはいえ議会に無条件に出れるとすれば、混乱を招くこと必至である。そこで、出来る限り死票を生み出さない足切りの方法も用意した。

 

議員一人が出てきて発言し、投票先を決めるというのは議会において大きな影響力を持つ。この影響力を持つという点に着目した。一人の議員が出るのにコストとして一定の票数、例えば千票を支払わないといけないということにして足切を図る。

 

実際にそのコストを支払うことが出来ないために、その一定票を下回る候補者を排除することが出来る。議会に出れたとしても、

コスト自体は支払われるから、その排除された候補者とぎりぎり場に出てこれた候補者、の差を極力小さくすることが出来るし、場に出てきた候補者でも得た票の差を反映させることが出来る。

 

議員一人出るたびに持ち票が1000票減るわけだから、全く同じ政策を持つ者を二人以上出すことにデメリットがある。だから似た考えの人間は減っていく。限りある議会を有効活用し、少数意見をより取り入れることが出来、また

 

今、殆ど他人の意向に、所属している党に従って票を投じるだけの人がいる。無駄ではないか?これは一人一票の弊害で存在してるのだ。こういう議員が今言った理由でいなくなるのだ。こういう議員の席が空いた分少数派の意見も聞けるようになるわけである。

 

もう一つ、同時に変える点として全国区にします。そもそも当選落選という概念がなく、我々の票は生きて議会まで届くんだから、票を託す相手は多くの人から選びたいはずだ。しかも選挙区っていうのは誰かが勝手に決めたもので、その分け方っていうのは誰かに有利になるように決められてるわけだ。我々は皆平等であるべきだからこんな制度ない方がいいだろう?

 

勿論全国区の短所ってある。例えば芸能人に票が集まりやすいといった欠点や周るのにお金が掛かるといった欠点、選択肢が多すぎるといった欠点も存在するだろう。順に潰していく。

 

まず芸能人に票が集まりやすいという欠点。そもそも彼らに票が集まることは民意なんだ。その民意が間違っているから民意が正しく伝わらないようにしよう、とするのは良くない。だからそういう事故が起きるからやらないというのは民主主義の理念に反している訳だ。故に今でいう衆議院で私の制度で民意を反映し、今でいう参議院を現行のような選挙制度で構成し良識の府として働けばいいと考える。また、一人の議員に力が集中しても問題の無いように憲法で一人の政治家が好き勝手出来ないような縛りを設ける、ということも法の支配を採用している国ならば出来るはずである。勿論私は彼らに票が集中しないだろうと考えるが、なぜなら、票が生きて議会まで届くからだ。自分の票なんて影響力なんてないだろうなんて考えるから衆愚政治みたいになるわけだ。最後の議決まで自分の票が有効に作用するならもう少し真剣に考えるはずだ。もし、芸能人が沢山の票を手にしたとしよう。今までの制度であれば、ただの一議員に過ぎず、特に何もしていなくとも、若しくはなんらかの失態を犯していても特に目に留まらず次も当選するかもしれない。しかし私の制度であればその沢山の人に投票された芸能人はその自身に投票した支持者の目によって監視され続けるのだ。自分の票を有効に使っているのか、生きて議会に届いているのだから気になって当然ではないか。今までの選挙では、投票してもその影響力というのを肌では感じられないでしょう。実際、私が投票したすべての議員は落選している。当選した議員に投票した人たちも自分の1票が何かを変えたような気にはならず、その投票した議員を強く意識することはなく、仮に政治に興味を持ったとしても注意は散漫になり全体像を何となく理解するしかないのだ。勿論小選挙区制では議員個人より政党を選ぶ選挙になっているので当然なのだが。しかし、私の制度では有権者はたった一人自分が投票した人だけを監視していればいいのだ。あなたがあまりにも少数派である以外であればあなたの票はほぼ確実に届きその票を監視して思うように行使されなかったら次の選挙で別の候補者に託せばいい訳だ。こうした力学が発生して衆愚政治のようなものは発生しないと考えている。

次に、全国周るのにお金が掛かるという問題。そもそも全国周らなければ解決する問題だ。我々は話し方が素敵だからや顔が整ってるから、名前を連呼している車に遭遇したから、若しくは握手してもらったからその人に主権を預けるべきだと思いますか?勿論実際に会ってみないと信用にたるか分からないと宣う方もいるだう。しかしもし、会えば信用にたるか分かるというならこの世に詐欺師という職業なんてないんだ。我々は都知事選のような候補者が政策を語る映像や書類を読んで選んだ方が賢い選択が出来るのだ。

最後に選択肢が多すぎるという点、実際に選択肢、あなたにかかわるような選択肢というのはそこまで無限に出てくるものでもないと考える。多数派の政党は無駄に議員を出すことで持ち票を失いたくないから候補者は少なくなるだろうし、少数派の政党はあなたではなく想定している支持者に向けて政策を掲げている。政策をぱっとみて入れようかなと思える候補者というのは一握りであろうと言うこともできる。以上で全国区にする問題は解消されたと言ってよいだろう。

 

最後に我々はこの政策の現実性について向き合わなければならない。ほかの政策弁は基本的に私があなた方にこうして話をして納得させていき、世論を変えていくことで政治家たちが反応していくといったプロセスで実現可能です。しかし私がこうして論じているのはそのプロセスにかかわる選挙制度そのものなのです。選挙制度といっても小選挙区中選挙区程度の違いであれば変えることは不可能ではありません。しかし私の論じているのは大きく根底から覆すものです。だから議員に頼ることは出来ない。ならば選択肢は一つ。革命しかない!私とともに行こう!以上だ!