やあ、詭弁論者のてんぱんだ。初めての本の紹介はこれ。
「詭弁論理学」
名著だから紹介するまでもないと思うけどね。
このタイトルを見て誤解を招きそうだな、と思ったからそこだけは説明しようと思う。
このタイトルを見て胡散臭そうだな、と思った人に言おう。
これは詭弁ではない論理学を学ぶのに役に立つ。
論理学というのはつまらないものだ。恒に自明なものしか取り扱えない。
自明なものしか扱わないのは危険である。世の中には自明とは言い難いものであふれていて、得てしてそのような自明ではないものが重要であったりする。
詭弁とは、一見自明なように見えてその実、誤りを導いてしまうような論である。
失敗は成功のもとである。詭弁という論理における失敗を学んでこそ論理学を正しく理解出来るのだ。人間の認識を意図的に誤らせようとする詭弁を学べば、自らの論がついつい詭弁に転がり込むことも、悪意ある者の詭弁に引きずり込まれることもないだろう。
最後に、私が好んで使う詭弁を紹介して締めようかと思う。私は「境界論法」と呼んでいる。
ある概念AとBというのは近しく、境界線が曖昧である、というのはよくあることである。具体的な境界がないということは、それはAとBは同じものではないか。という論法である。有名なものとして、「人間はサルである」というものがある。人間も親を辿ればサルにたどり着くのだから人間はサルである。一見そのような気もするが、虹は色の境目というのは存在しないが、両端の色が同色である、というのは無理がある。境界が曖昧であるとしてもAとBとが全く同じものとして扱って良い、というわけではない。以上だ。