新歓用の弁論の原稿作ったし置いとく

#祝福の言葉

まずは皆さん、大学入学おめでとう。

我々はあなた方を歓迎する。

 

#自由ではない高校

あなたはこれまで辛く、不自由な高校生活を過ごしてきただろう。

受ける授業は決まりきった英語数学国語理科社会。

時間割に選択権はなく、理不尽な校則が服装から生活習慣、果ては人間関係までも縛り付ける。

なんと不自由な生活だったろうか。

 

#自由な大学

しかし、大学は自由だ。

高校にはあった、不純異性交遊禁止だとか髪染め禁止といった不条理な決まりだってない。

大学では好きな格好で好きな人と好きなことが出来る。

大学は自由だ。

受けたい講義を取ることが出来る。

あなたがしたいなら学部が違う講義でも受けることが出来る。

講義のない時間は好きなことが出来る。

大学は自由だ。

サークル活動に打ち込んでもいい。

バイトに勤しんでもいいだろう。

何をしたっていい。

大学は自由だ。……

 

#自由の否定とその原因

(大きな間)

としたら、どれほど良かっただろうか。

我々は自由に好きなことをしようとした時、それを阻む壁がある。

君がしたいことでもなければ、学問的にも人生にも役に立たないにも関わらず、強制されてしまう講義がある。

それを、君たちはもう知ってるだろう。

君たちはここに入学すると決めた後、最初の選択をしたはずだ。

そう!第二外国語である。

君たちは入学する前に、第二外国語を選択した。

でも、そこまで前向きに選んだ訳ではない人が大半じゃないか?

 

今回君たちに訴えたいことは、必修科目の第二外国語を選択科目にすることである。

 

#現状分析

では現在、第二外国語の必修はいかにしてあなた方の自由なキャンパスライフを妨げているのか。

第二外国語を必要としていない人は多いだろう。

あなた方は必要としない授業に多大な金と時間をかけてしまっている。

明らかなのは時間の損失である。

卒業するうえで、情コミ学部では4単位、法学部では6単位、経営学部、政経学部商学部では8単位、第二外国語をとらなければならない。

1単位とるのに13講義受けなければならない。

講義の時間は100分間である。

仮に予習復習を1講義につき30分ほどとったとすれば1単位につき1690分も無駄にしてしまう。

4単位しか必要ない学部でさえ6760分かかり、8単位必要な学部になれば13520分も無駄にしてしまう。

約225時間の損失は無視することは出来ない。

仮にこの時間を時給1000円のバイトに費やせば22万円手に入る。

 

じゃあ22万円損失したのかというと、それだけではない。あなた方は授業料を払っている。

単位数の割合で計算したところ、法学部では20万円、商学部経営学部では26万円、情コミ学部では14万円、政経学部では28万円支払っていることになる。

特に必要ともしていない人にとってこの金額も無視は出来ないだろう。

 

#深刻性

だけど本当の問題は金や時間の無駄遣いじゃない。本当の問題は学ぶ機会が失われていることなんだ。

学ぶ機会が失われるメカニズムは二つある。

一つは、「必修の第二外国語が時間を選ぶことが出来ないから、時間が被っている取りたい授業が取れなくなってしまう」というメカニズム。

もう一つは、貴方が第二外国語を必要としているとしても、皆がとらなければならない必修科目は、質を低くしなければならない為に、質の高い第二外国語の授業がないというメカニズム。

 

一つ目は、

必修科目はもともと決まった曜日、時限に設定されていてそれを変えることは出来ない。

第二外国語も例外じゃない。

もしあなたがその時間にだけやっている講義をとりたいとしても、必修科目はそれを妨げる。

意外とこの「時間が元から決められてしまった必修科目」は邪魔をする。

物によっては2時間授業があるものがある。

そのどちらか片方が被るだけでも受けられない、ということは多発する。

君たちが時間割を組む時には嫌でも分かるだろう。

 

二つ目は、第二外国語をとっても良い、いや寧ろ必要だという人にとっての話だ

必修科目っていうのは皆がとらなければいけない。嫌ならどうぞお帰りくださいなんていう態度は教員がとれるわけがない。難しくて実のある授業をやろうと思っても、ついていけない学生がいてはいけない。だから必修の授業は薄い授業になってしまう。もし、第二外国語を社会に出てからも使いたい、だとかあるいは在学中にそれで論文を読みたいだとか、原著を読みたいって人がいたとしても、そのレベルまでは到底及ばない。いやいや受けている学生と一緒に受けるっていうのは彼らのレベルで授業を受けなければいけない。

 

 

#解決策に至る

 

ここまで、第二外国語が必修であるために支払うコストというのを示した。

しかし、君たちはこれに見合うほどの価値を見いだせないだろう。

それでも我らが大学、明治大学第二外国語を必修にしている。

価値を見いだせない授業は苦痛だ。それでもあなたは受けなければいけない。

 

私たちはどうしたらいいだろうか。

二つ出来ることがある。

 

#一つ目の解決策

まずは、我々は苦痛をやわらげるためにも明治大学に何故第二外国語を必修科目にしているのか、その意義を問わねばならない!

彼ら明治大学は、第二外国語を必修にしている以上、第二外国語を学ぶ意義を知っている。

学ぶ意義が分かれば学ぶ苦痛も和らぐだろう。だから問うのだ。

 

(メディア棟横でやると思われるので第一校舎に向かって指を指しながら高らかに)「明治大学よ!何故我らは第二外国語を学ばねばならぬのか!」

 

答えを待とう。

もし、その返答に満足出来たなら、私たちは有意義に第二外国語を学ぶことが出来る。

 

#二つ目の解決策

もし満足出来なければ、二つ目の出来ることがある。

今度は第二外国語を選択科目にするために動く必要があるだろう。

何故第二外国語は必修科目であり続けているのか、どうすれば第二外国語を選択化出来るのかを考えていかなければいけない。

その為に、あなたは何をするべきか。我々、雄弁部に入ろう。

雄弁部は、弁論を通じて「社会には一体どんな問題があり、それは何をすれば解決に至るのか」を考える。

そしてそれを言葉によって社会に示し社会を変えんとする。

もしあなたが、社会を変える力が欲しいなら、雄弁部に来てほしい。

我々はあなた方を歓迎する。

ご清聴ありがとうございました。