フェアってなんだよ(哲学)

note.mu

 

これ。どう思う?

俺の立場では「市場価格は別にフェアな価格を示さない」なんだけど

 

【この枠の中の文章は、専門知識のない方は読まなくていいです】 

今回は”この枠の中”の話を主にします

 

フェアってなんでしょうね?

フェアとは - コトバンク

フェア(fair)

[名]フェアボール」の略。⇔ファウル
[形動]
 道義的に正しいさま。公明正大なさま。「フェアな精神」「フェアな価格設定」
 規則にかなったさま。またスポーツで、規定の場所の内にあるさま。「フェアな試合」「フェアフライ」

 

 だそうです。どうやらこの二つの意味を混同させているようですね。

フェア(規則にかなったさま)な市場価格(低賃金)で労働者を働かせて大儲けしてる経営者はフェア(道義的に正しいさま)じゃないのか?

ということでしょう。

 

ちょっとマルクスっぽい視点から考えてみましょう。

時給千円分の価値の労働しかしない労働者に、
経営者が時給千円しか払わないのは、当たり前だ。

会社がどんなに儲けていようと、
経営者に何十億円の年収があろうと、
そんなことは関係ない。

「時給千円分の価値の労働しかしない労働者」とは本当に時給千円分の労働しかしてないのでしょうか?

答えはNOです。もし仮に労働者がその給料分の労働しかしていなかったとしたらどうでしょうか?

何故会社が儲けているのでしょうか?

マルクス的な視点からみるとこれは疎外というのが起きているのだそうです。

1500円分の労働をしている労働者から500円ほどはねて1000円を渡す。500円から諸経費を引いて残りは利益になる。

別に会社や経営者が働かざる者とまでは言いませんのでこの疎外は当然と僕は思いますがね。

何が言いたいかというとこの前提として時給以上の価格を要求するのは労働者として不自然な行為ではないと思います。

労働者が千円分の価値の労働しかしないというのは経営者がそう思ってるというだけの問題なんですよね

 

誰でもできる仕事なんて、時給千円の値段しかつかなくて当然。 

 何故そうなるんでしょうか。

確かに供給者が増えれば、値段が下がるのは当然とは言えます。

ですがそれは需要者が少なければという但し書きがつくのです。

統計局ホームページ/労働力調査(基本集計) 平成30年(2018年)11月分結果

 年平均月次(季節調整値)2015年2016年2017年2018年8月9月10月11月完全失業率3.4%3.1%2.8%2.4%2.3%2.4%2.5%

最近の事件もありこういうところからデータを引っ張ってくるのは如何な物ではありますが、

失業率は低いとは言えません

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縦軸は価格、横軸は量を示しています。右下がりの線は需要、右上がりの線は供給をし示しています。

需要が少なければ、多くの労働者が望む価格より低い価格になります。

二本の線の交点より右側の供給の線の長さは「求める労働に対する価格より安いので、就職していない状態の労働者の数」を示しています。要は失業者の数を示すことになるかと思われますが、そこまで多くの失業者がいるというデータはありません。

非正規労働者を大量に使って利益を出して、株価を上げて、

という表現もあり、労働市場自体は大きいままであると考えられます。

 

でも、交点より右側の線が2.5%は少なすぎる。何故なのか。

ここで考えなければならないのは、「市場から退出する人」はどこ”へ”行ったのか?という問題です。

別の市場かもしれませんね。ではどの市場からも退出する人はどうなるんでしょう。

 

「死」です。

 

市場から退出するということは社会から退出することにほかなりません。自給自足する他ないでしょうが、人間はポリス的動物であるというぐらいで、実質的に不可能でしょう。住む場所や働く場所すら市場に取り込まれているのですから。

 

死にたくない者は死なない為に自分の労働に見合わない低価格で労働を提供せざるを得なくなる。

なんとか生活費を支払える程度の金が入る程度の価格でも我慢する。我慢しなければ死ぬからだ。

 

このように”合理的に”労働者が考えると先述した供給を示す線はがくっと下がる。

「自身の労働に見合う価格」ではなく「自身の生活費が支払える価格」へと。

そして自身の生活費が支払える価格すら受け取れない者は死ぬ。

1000円というのは労働の価値ではなく労働者の生活費だったのです。そりゃあ不満もたれますわな。

このように考えていくと、生活保護の意味が分かるかと思います。市場原理を適正に機能させるには社会福祉が不可欠だったという結論が導けるでしょう。

 

話を戻して進めましょう。

低賃金が嫌なら、努力して、経営者が高く買いたくなるような人材になればいいのである。

それが、市場原理主義者たちの考える、
「フェア(公正)な取引」というものだ。

もうお分かりですかね。努力して「労働の価値」が上がったのではなく、「それを維持する生活費」が上がったのです。ですから高度な技能職でもワープアというのがいるのです。

 

関係ないですけど、市場原理主義者ってなんでしょうね?まずどこで切るんでしょう

市場・原理主義みたいな感じがしますよね

 

ところが、人間の脳は、必ずしも「市場原理主義的なフェア」をフェアだと感じないということが、心理学の研究でわかっている。たとえば、大雪が降った翌朝、金物屋が雪かき用のシャベルの販売価格を大きく引き上げたとする。市場原理主義的には、これは全くフェア(公正)な取引である。需要が供給を大きく上回ったのだから、値段は上がって当然なのだ。

 これなんですけど、シャベルは使い捨てるものじゃないので安いときに買えやって思いますね。論点ズレちゃいますけど、突然の雨でコンビニで高値の傘を買うとき、その高値に不公正だって切れる前に用意してくれてありがとうじゃないんですかね?そういうところなんですよ。

 

実は、非正規労働者が問題だとされるのも、この「参照点」と「損失回避傾向」が原因の一つだ。

日本人の多くにとって、「正社員待遇」が参照点になっている。このため、「非正規社員は、不当に安い賃金しか支払われていない」と多くの人は、感じるのだ。

 もし仮に非正規労働者と正社員が同じ労働してたらきれるに決まってるんですよね。

市場原理を機能させるには「一物一価の法則」ってのを前提としていて、これは最近よく言う「同一労働同一賃金」と似た概念なんですが、もし同じ労働に異なる賃金が支払われていたらそれは自由市場ではないので、

市場原理的にはフェアであるってのは間違いである、と考えられます。

異なる労働ならそんなところ参照点にしてんなよって話ですよね。

 

それとはズレる話なんですが、仮に正社員と派遣社員が全く同じ労働をしているとしたら、同一賃金ではまずいところがあって、要は「リスク」に支払われるべき賃金ってのがあるんですよね。この場合派遣社員は正社員に対して「簡単に切られてしまう」というリスクを余計に背負っているのでその分高い賃金を要求できるのが筋であると思うんですよね。

 

っていうか、派遣社員って普段は必要ないけどたまに必要になる技能職のための制度だたんじゃないんですか?なんで同じ労働してるんですかね?

 

なんで引用元と違うのは「市場主義からも別にフェアには見えない」ってところですね。

そのあとの解決策についてはそんなに異論はないですね。

あえて言うとすれば、貧困層には手続きする余裕は残されていないので、ベーシックインカムみたいなほっといても貰える制度であればいいなと思ってます。

富裕税は大変そうですよね。

 

以上です