日吉杯に出す奴の初稿

変えないといけない所はあるけれどまずは晒すと決めてるからする

この中に、選挙に行ったことあるよ、という方はどのくらいいらっしゃいますでしょうか?

結構いますね。ここにいる人たちは問題解決を目指す人たちですから、選挙に行くのは当然かもしれません。
選挙というのは問題解決に至るための殆ど唯一にして最大の方法です。
私たちが投票する。政治家は当選するために私達の為に政策を実行する。
こうして問題は解決していく。
勿論他の方法もあります。
こうして演壇に立って話しをする、という方法でも問題解決に導ける。
でもここで目的としているのは、大体は投票行動を促して問題解決に導いているんです。
私の提案する政策に賛同するならば、その政策を掲げる候補者に投票してください、といっているんです。
だから、まともに機能している選挙制度なしに問題解決は出来ないんです。

だから皆さん選挙に行きましょう、といっても選挙に行かない人は中々行きませんよね。
ここにも選挙に行ったことがない人がいるみたいなので、選挙に行きたくなる小話をちょっと話しますね。
選挙に行くと2枚の紙を貰えます。ここに候補者の名前を書いて折り畳み投票箱に入れる訳ですが、実はこの紙、投票箱に入れた後自然に開くようになっています。集計するとき開く手間を省くためといわれています。投票箱に入れる前に折りたたんだ紙から手を放すと自然と開くのが見れるので是非投票しに行ってみてください。

といっても、選挙に行かない理由というのがその、折りたたんで投票しても元に戻ってしまうから、なんです。

どういうことか。

例えば、あなたは選挙に行って、候補者Aに投票しました。結果候補者Aは当選した。良かったですね。でももし選挙に行かなかったら?候補者Aは変わらず当選していたでしょう。候補者Bに投票していても結果は変わりません。
選挙に行っても、行かなかったときの状況となんら変わりません。変わるとしたら投票率が若干上がるぐらいでしょう。それでも当選につながらない少数派は無視されます。

主権全体の0.000001%しか持たない個人が与える影響というのは些細なもので、この現状は仕方ないと思われるかもしれません。実際そうでしょう。結局最終的には一つの方針を掲げるのです。
でもそう判断するのは私の政策を聞いてからでも遅くないでしょう。まずは聞いてください。

今回の目的は、この投票しても元に戻ってしまう現状を改善する方法を共有することです。

たった一つのアイディアです。国会議員の持ち票を弄ればいいんです。

国会をみれば、大人気な議員もドングリの背比べで辛うじて当選した議員でも等しく一票を与えられています。
これも一つの平等でしょうね。
しかし、国会議員間で平等である必要性はあるのでしょうか?
国民間で平等であることの方がよっぽど重要ではないでしょうか?
主義主張もなくなんとなくそこにいる議員より、国民の声を代弁できる議員の方が影響力がある、票を多く持っている。
そんな状況の方が好ましいと思いませんか?

私達は今”私たち”の代わりに議論してくれる人をみんなで選ぶ、という形をとっています。
でもそんな必要などないのです。
”私”の代わりに議論してくれる人を選ぶ、そんなことが出来れば選挙に行った甲斐があるでしょう。

そこで提案します。

国会議員の持ち票を1票から、選挙で投票された数に変える!

これだけです。
勿論これをそのまま導入すると問題が発生しますからその為の策を用意する必要はありますがね。

この政策を実行すると選挙の意味がガラッと変わります。
選挙は国会議員を選ぶものではなく、自分の代わりに政治をする人を選ぶ為の物、政治を委任する儀式に変わります。

この変化は選挙に行っても元に戻ってしまう現状を打破します。
ほっといても当選するような人を支持していた人もその人の力になれますし、
今まで落選していた人を支持していた人も0.000001%でも傷跡を残せる。
0が0.000001%になるだけですけど、この差は大きなものになると思っています。

ここからは細かい話をします

この政策をそのまま実行すると、問題が発生します。
どこで足を切るのかという問題です。
国会議員を選ぶ選挙ではなくなったと言いました。
持ち票の数を決める選挙だと。

では持ち票が1しかない議員がいたらどうでしょう。
そんな人まで議会に入っていては、収拾がつかなくなるでしょう。
どこかで線引きが必要です。
では、例えば持ち票が1000票以下の候補者は足切り、国会議員にはなれないとしたらどうでしょう。
1001票と1000票の差はたった1票であったにもかかわらず、1001票に広がってしまいました。他の場所ではそのような差がなかったにもかかわらず、です。
せっかくならば、線引きするにしてもそこの差を緩やかにしたい。

そこで1つの考え方を用意します。

議会にいるというのは、結構大きな影響力を持つのです。
実際に、この会場にいらっしゃる皆さんは、前にお座りの審査員とは異なり点数を付けることは出来ませんが、
場の空気に影響を与えることが出来ます。質疑してみたり、この大会では禁止されていますが野次を飛ばしてみたり。
そうでなくとも、ただ味方が沢山いるだけでも安心するものです。
議員になるということはそれだけで影響を与えるものです。それは投票して影響を与えるのと似ていますね。

ここで提案します。議員になるのに持ち票をいくらか支払うのです。

1000票以下の候補者は国会議員になれないようにしたい。その時は候補者は議員になるときに持ち票から1000票支払う。
するとどうでしょう。ただ足切をしたときは議員になれるかの瀬戸際では1001票の差があったのがたった1票の差になりました。
この問題は解決します

もう一つ問題ではないけれど、言及しなければならないことがあります。
国会議員の持ち票がそのまま支持者の数を表すようになれば、選挙区という概念は陳腐化する。

すなわち、全国区制にしても問題ない。
勿論全国区制は選挙活動に多大な金がかかってしまうという問題点はありますが、それは選挙活動に縛りを設けることで容易に解決しうる問題であります。

勿論有権者にとって全国全ての候補者の一覧を見せられても困る、という問題もありますが、今までやってきた通りにすればいいだけです。
大半は、どこの馬の骨かもわからない候補者がどこの党に属しているかで判断してきたのではないでしょうか。
ただ、初めて聞いたような名前の代わりに党首の名前を書いておけばいいだけです。党の名前を書いても良いでしょう。

以上、議員の持ち票数を投票された票数にするという大きな政策と議員になるために支払う票数の導入、全国区にするという二つの小さな政策を提案します。

ではこの政策によってどのような社会になるのか。
5点、変わるところがあります。
一つ目として、一票の格差はなくなります。
勿論全国区にすれば一票の格差というのはなくなってしまうのですが、仮に小選挙区を残したとしても国会において国民の一票は等しく一票として扱われます。
そこに地域差は全く生じなくなる。

二つ目として、死票がなくなります。
勿論、議員になれなかった候補者の分の死票は残ってしまいます。
しかし、注目してほしいのは当選確実になった人にさらに投票された分が死票ではなくなってるのです。
一票追加で投票すれば一票影響力を増していくのです。
これによって本当に投票したい人は別にいるけど無駄になるから微妙な人に投票しようとはならなくなるのです。

3つ目として、無駄な議員がいなくなります。
現在の制度だとただその地域の票を獲得するためだけに議員になっているという人がどうしても現れます。
それがこの制度ではいらなくなるのです。

4つ目は3つ目と関連しますが、与党の議員が必要最低限だけになれば少数派が座れる椅子に余裕が出来ます。
より多角的な議論が出来るようになるのです。

最後、5つ目は、国民の意識が変わります。
今までは党首のいう事を聴くだけの知らん人にしょうがなく投票した挙句、その結果は結局変わらない状況では興味が湧くはずもありません。
しかし、この制度の下では、自ら意思決定する人に直接投票出来、そして投票した影響が議決まで残るならば興味も持てましょう。
しかも、今、政治を見ようというとき、どうしても大局的な見方しかできず、個人個人を見ることは難しいでしょう。
ですが、この制度の下では、国民は投票した人一人だけを見ていればよいのです。
なんとなくふわっと見ていた議員をより鮮明に監視することが出来るようになるのです。

選挙というのは問題解決に欠かせません。
機能しなければおよそ殆どの政策が実行できません。
投票しても元に戻ってしまわぬような選挙制度を。

ご清聴ありがとうございました