確かな生きる意味はあるのか

ねえよ

 

まあそれでも何か意味を見つけなければならない

それも簡単には否定できないようにちょっとした詭弁的根拠のある意味を

 

確かな生きる意味が仮にあるとして、その生きる意味はどのような性質があるのか。

それが確かであるというのは、どんな状況でも当てはまると言い換えられる

つまり生きる者ならば今も昔もこれからも持ち続ける性質に由来する

その性質とは子孫を残し続けることである

 

生きる意味とはその種を存続し続けることにある

 

勿論子を産めばそれでよしではない。その子が健全に成長し、また子を産む必要がある。評価は無限に先延ばしされて、今我々が行きていることで先祖の生きる意味があったのだろうというふうに暫定的に評価されるのみでしかない。

勿論存続出来ない者も出てくる。彼らが生きる意味がなかったのかというと必ずしもそうではない。働きアリのようなそれ自体では繁殖はしないものの存在するだけでその種を存続させることが出来る個体もある。

自ら存続せんとするも叶わない者もいる。そもそも遺伝子による存続は100%超人を生む物では決してない。(そもそもの特性として突然変異というイレギュラーを発生させる機能に由来する側面もあるが、仮に優れた遺伝子で100%超人を産むとしても、彼らが100%凡人になるに過ぎないことは容易に分かるだろう。)つまりそのような個体の発生も存続に帰するものであると言える。

 

仮に存続を志向しない種かあるとして、それらは一瞬存在することはあってもそれらは残らず、最終的に存続を志向する種のみが残ってしまう。

 

であるから生きる意味とは存続することだと定義してしまうことが最も妥当であると考える