この上なく素晴らしい場所だが、どこにも存在しない場所。
当然どこにも存在しないのだから未来にも存在しえないものであろう。
私がこう確信しているのは、進化論的な発想に由来している。
進化論的な働きによって改善されるのは、元の状態から地続きな状態かつ、より安定した状態へ、しか改善されない。
進化論的な働きとは以下のような物である。
何らかの自然発生した変化は、淘汰圧によって、存続に不利ではないものが(その有利な度合いに即した確率に基いて)残る。このような微小な変化によって、徐々に変化していく。
このような変化は限界がある。
1. 自然発生する変化も完全に無差別である訳ではなくて、変化を起こす機構の性質によって、変化の方向性が決定されてしまう
2. 進化の途中の状態も存続出来るような形質でなければならない
3. 最終的に落ち着く安定した状態がなければならない。
このような条件を揃えながら、ユートピアが実現できるかというとそうではないだろうというのが、ユートピアは未来永劫存在しえない、の文意である。
では、ユートピアが実現しうる可能性はあるのかという問いに戻る。
これは単純に、一度素晴らしい社会になったとして、その社会は赤字になってしまうのか、或いは上で述べた進化論的な働きによって変容してしまうのか、という問題である。
これが、私が10年程度問い続けた問題であり、相続制度廃止論の出発点でもある。
もし、ユートピアが安定して存在できるのならば、理想を志向し続ける価値はあるだろう。
しかし、その理想がexpensiveであるのならば、素晴らしくない世界の中でいかに生きていくのかを探っていかねばならないだろう。時には人権を捨てて、奴隷制を復活する必要も考える必要があるかもしれない。
この問いは、答えが出ていない。