ぬいぐるみからペニス出してますか?

こんにちは、ペニスがついている321です。

 

突然ですが、ぬいぐるみペニスショックってご存知ですか?

下心が感じられない友人関係にある(と思っていた)男性から突然恋心を伝えられた女性の衝撃のことです。

 

そういう女性の心的負荷をかけることは僕としても望ましいことではないとおもうので、ぬいぐるみからペニスを出すことはしたくないんですが、一般的に生物はペニスを出さなければ生殖が出来ず、絶滅に至る傾向があります。最近の流行りのSDGsに乗っかるわけではありませんが、やはり私もイチ生命として種の存続を願い、ペニスをだしていかなければなりません。国も少子化は望ましくないらしいです。お国の為にペニスを出していかなければなりません。

 

一般に普通の男性は自身がぬいぐるみ化する前に徐々にペニスを出していくらしいです。

しかしながら、私に徐々にペニスを出すことは出来ません。アナログに徐々に状態を変化させることは出来ずデジタルな0.1の変化しかできません。「先っちょだけだから!」という人の9割は先っちょに端から留まらないつもりでしょうが、実際先っちょですませることは非常に難しい物です。出すか出さないか。不器用な人間にはこれしか選択肢がありません。

 

出すかひっこめるかしかできない人間にとって、出てない状態から突然出てきた状態になることも、永遠にしまい続けることも出来ないとすれば、選択肢は一つしかありません。出し続けることです。

 

大体私はぬいぐるみではありません。ペニスのある普通の人間のはずです。先っちょだけ出すことのできない不器用な人間のはずなのです。私にもペニスが在ることを無視しないでください。ペニスとは所謂下心のことです。何も露出狂めいて私の男性器を見てくださいと眼前に差し出す訳ではありません。目の前の貴方と懇ろになりたいという感情があることを否定しないで欲しいということです。

 

別に私と懇ろにはなりたくないという貴方の感情を否定したい訳ではありません。その両者の感情を公にした上で、懇ろにならなければいいだけなのです。

 

しかしながら、感情を公にすることは非難の対象となっています。私は中高別学の人間で、小学校までの恋愛観を保持し続けているのですが(とはいえ其の頃も誰かに恋愛感情を吐いたことはありません。)、共学では誰かに告白することはそれだけで嘲笑の対象たりえて、酷ければ虐めに発展することもあると聞きます。いずれにせよ今までの学生生活が送れなくなるかもしれないという危険性があることは否定できません。勿論告白というのは確実に成功すると確信して行うものなのでしょうが、今回は初めに口説きだす段階の話をしています。告白という一大イベントに入らずとも”気がある”ことが判明した時点で以上のような危険性はあるものなんだそうです。

この話の本質は相応しい人間が見せる好意なら良いがそうではない好意は断罪の対象である(が、相応しいかどうかは好意を見せてみないとわからない)という基準の運用の難しさにあるので、そんな運用不可能な基準やめようね!って話なんですけど、大変ですよね。それこそ徐々に感情が移り変わっていくのを待つほかないのですが。

 

以上も私の勝手な推測なんですが、以下はもっとキツイ思い込みになります。

 

私は以上のペニスを出すことの嫌悪感というのは、性的なものへの嫌悪感や忌避感にあるのではないかと思っています。

これは以前から言っていることでした。1年生の時に発表した見えない所というのは本来、同年の新弁の優勝弁論「春を売る」に対して、売春が公にされず、従事者が暴力団によって搾取されている現状は性の忌避感にあり、これを解決するにはこの性の忌避感を取り去らなければならないのではないか、という趣旨の主張が始まりでした。先輩方により、この問題は何も性にかかわるものだけではないと拡大解釈されあのような物になったらしいのですが、とにかく生き物の存在に必須級のセックスについて隠そうとする振る舞いが以上の異常な環境を産んでいる(そしてその環境が感情を醸成している)のだというのが見えない所という弁論の根幹たる主張でした。

 

セックスというのは強く恋愛に結び付いた物です。セックスを隠せば同時に恋愛も隠された物になってしまいます。隠されたものに対して適切な対応が出来ないのは当たり前じゃないでしょうか。

セックスと共に隠されたことだけならまだただ不器用な人間である私が淘汰されるだけで済みます。何故なら、恋愛感情というのはセックス相手の選別に適するように進化の過程で獲得したものだからです。多少目隠しされたところで野生の缶は適切に働くでしょう。然しながら問題はこの自然の恋愛感情に権利意識が付与されたところです。

男は女と強引にセックスしたいものであるという暗黙の了解(私はそうではありません)とセックスはお互いの合意を以てなされるべきだという権利意識は明らかに矛盾します。仮に女性が乗り気だったとして、性交契約書なるものを床の上で署名させられれば冷めるのも無理はないのではないでしょうか。私はそちらの方がいいんですが。次第に暗黙の了解を踏襲する男性はいなくなります。権利意識に訴えられるのは面倒だからでしょう。セクハラという語が盛んになったころと草食系男子という語のそれはかさなっているのではないでしょうか。冷静に考えて、男子が草を食っていて何が問題なのでしょうか。女性が肉食男子を求めていたからにほかなりません。先の例であれば据え膳に手を付けず帰ってしまえば甲斐性無しだとか意気地なしだとか罵られたり、自分の性的魅力のなさに悩まれることが在るのもその証左でしょう。

 

男性が家に帰ったのはあなたに魅力がないからではなく権利意識が強かっただけです。勝手にぬいぐるみにするのも、潜在的なレイプ魔にするのもやめてください。その男性も私もただのペニスのついた人間なのです。

 

私は合意あるセックスを望みます。しかしながら、オラオラ系と呼ばれるタイプの男性に魅力を感じる女性が多いのも確かです。壁にドンが話題になったのも記憶に新しいでしょう(流行語となったのは壁ドンですが、別用法のものと混同を避けるため新谷良子氏の造語を用います)。そのような人に契約書を見せてもなえさせるだけなのではないかと危惧しています。

 

以上のような危機感から自己と未来の男女を救うための解決策を私は持ち合わせていません。

しかし私は以下のスタンスを選ぶと決めました。最初からスタンスをだしてしまうことです。私はペニスと契約書をもつただの人間だと公にするのです。これには大きな問題を抱えています。ペニスをみたくない女性からは嫌われ、彼女らの騎士からも嫌われてしまいます。それは大多数だと思います。事実このようなスタンスをとった結果、1年の前期に大きな人間関係のこじれを産んでしまい、今でも引きずる結果となりました。今オンライン講義が決定しているのを実は喜ばしく感じています。彼の目の前に姿を見せるなという命を覚えながらキャンパスを歩く必要がなくなったからです。そのような大きな問題を抱えながらもこのスタンスをとったのは一つの信念があるからです。人は一人ひとり違う個性を持ち好みも異なるはずだという信念です。私はメジャーな価値観で測られてしまえば多くの人間の劣化であることがすぐにばれてしまいます。そんな人間の生き抜く方法は自分と同じ少数派と巡り合うための努力をすること以外にありません。数少ない相手に自分がここにいるのだというアピールをするほかないのです。セミのように騒げば天敵に見つかることもあるでしょうが、生き残るためにリスクをためらってはいけないのです。

 

ペニス、出していきましょう。