尾崎杯に出せるかもしれない原稿

特に要綱になんとも書いてなかったから晒すよ

 

#導入

2016年に選挙があった。選挙権が18歳に下がってから初めての選挙だった。当時18歳だった私はその権利を行使して初めて投票に行った。結果を見たとき、無力感を覚えた。私の一票は全く影響を及ぼさなかった。

 

#問題分析

世間は言う。投票しても無駄であると。確かにそうだ。手ごたえが全くない。私の意思が反映されるように見えない。これでは投票率が落ちて然るべきではないか。

 

#原因分析

選挙において、これ程手ごたえを感じないのは、選挙制度そのものが民意を正確に反映する物になってないからである。例えば小選挙区制であれば、自分が投票権を持つ小選挙区の候補者に投じた票は、その選挙で当選した候補者の一票に集約される。いくらその選挙区で投じられた票が多くとも、たった一票に集約される。

およそ100万倍の圧縮である。百万分の一票の権利だけを有し、そして小数点以下は切り捨てられるような現状で、どうして選挙に行こうなどと思えるだろうか。

 

#主張内容

今回主張したいのは、民意が反映されるために選挙制度を変えなければならない、その選挙制度案についてである。

 

#解決策

最終的に私たちの票は各議決において賛成か反対かの多数決に収束される。イエスかノーか分かれるところでは我々の民意を正確に、例えば6割だけ賛成という水準までは反映されることは出来ない。がしかし、その直前、国会議員が票を投じるその瞬間まで我々の票を生きて届けることは可能である。そしてしなければならない。

 

私の案は簡潔である。この議員が議会において行使できる票数を、その議員に投票された票数と同じにする。ということである。百万票選挙時に投票された議員は百万票を議決するときに賛成か反対か投じることが出来る。我々は、議員を決めるのではなく、自分の票を行使してくれる人を選び委任するのである。

 

こうすることで、我々の一票は立ちどころに消えてしまう一票にはならず、各議決に影響力を持ち続けるような一票になるのである。

 

#解決策の実現可能性@足切

勿論、この単純明快な制度を導入するとなると問題が発生する。まず議席数に限りがあること。私たちは少数派に耳を傾けなければならないとはいえ、限りなく支持者の少ない人間の話まで聞いている余裕はない。どこかで足を切らねばならない。がしかし、当選したものの格差は殆どないにも関わらずぎりぎり当選したものとぎりぎり落選したものは得票数でいえば大差ないはずなのに大きな格差を産んでしまう。ここで新しい概念を導入してみる。成り議員代。議会に出席して、発言し、実際に議決権を行使することそのものが非常に大きな権限であるといえる。この権限と実際に投票する票数を交換するようにすればいい訳である。候補者が議員になるときにその得票数からいくらか一定の票数を支払うことにする。例えば1000票に満たない候補者を落選させたいとなると、成り議員代として1000票支払うことにすると1000票に満たない候補者は議員になれないし、辛うじて議員になれたとしても、票数はすくなくなり、落選した候補者との格差も埋まる。実際に当選した者同士でもその影響力自体は得票数に等しくなると言える。

これは多数派の議員数を絞り込む役割も持つ。一人議会に送り込むごとに一定票数失われるから、今までその小選挙区の票数を獲得するためだけに議会にいた人は党としての票数が削られるのを避けて、立候補を避けるようになる。多数派の議員が減れば、少数派の声を聴くための余力も生まれるのだ。

 

@選挙区

また、自分の票を委任するという大きな意味を持つとなると、選挙区からだけしか選べないのは非常に不便であるといえる。勿論住む場所が近いからという理由で従来の選挙区から出た候補者に委任するのも自由だが、同じ考えを持つ者に入れたいとなれば、候補者全員の中から選びたくなるはずである。となると全国区にするのが見えてくる。全国区にするとなると問題になるのは選挙費用の増大である。しかし、わざわざ遠方まで出かけて演説する必要はない。今ならインターネットで遠くまで一度に発信することは可能だし、そもそも遠くの候補者に投票する人は演説をみるよりもどこか沢山の候補者の主張がまとまったようなものを読んで投票するのだから、遠方に行く必要がない。だから、選挙自体は全国区にするが、選挙運動をしてよい場所は制限されるようにすれば、選挙費用が増大しなくて済む。

 

#展望

この政策が実現すれば、この持ち票の中に自分の票があることを認識することは投票後の意識も変えることが出来る。たった一人委任した議員さえ監視していればいい。全員をまんべんなく眺めるだけでは得られなかった知見が得られるだろう。監視している議員を通して政治を考えるきっかけになれば、歩むべき道はどちらなのか自ずと分かるようになるだろう

 

#締め

私たちは、私たちの主権を国に代わりに行使してもらっている。そして国に問題を解決してもらっている。しかしその機能の根底である選挙に穴があっては他の全ての問題を解決できるかどうか、最低限の保障もできなくなってしまう。私たちは確証を得る為に選挙制度にメスを入れなければならないのだ。私たちは日本が歩む第一歩の前に、体に合う靴を履かなければならない。以上