無能に優しい世界を

注意 これは愚痴である。時間の無駄だから引き返すように。

 

私は無能である。なんら創造性などなく、それでいて高らかに創造を!創造を!などと謳う。創造力もなければ創造する気力すらない。現にこのブログでウンウン唸ってはいるものの、それを読者に効果的に伝えんとする努力もない。はてな記法とかいうもので書けば文字サイズや色などを指定して分かりやすく目に映える文を作れるのだが、それをやろうとさえしない。私は無能である。創造力のカケラもない。それでいて破壊衝動は人並み以上にある。これは小学生の時点で自覚していて抑えん抑えんとするもその衝動は不意に訪れてしまう。中高の同期方には迷惑をかけた。私など生きていても社会に害であるなどと自死を考えるもそれとて破壊衝動で、社会にとって労働力を削るだけであるなどと思いながら今まで生きている。私は無能である。勿論この世に私だけが無能という訳でもないらしく、私が死ねば有能を前提とした社会で居られるわけでもない。だから私は主張する。無能に優しい社会を!私は無能に優しい大いなる支配者を求めてきた。然しそう大いなる支配者など存在はしない。大いなる支配者なくともマシな社会をまとめねばならない。私はある代表に期待した。この非効率な団体を変える!引き継ぎはする!なんと喜ばしいことだろう。引き継ぎがされれば無能である私が考えるまでもなくその通りすれば良い。然し一向に非効率さは残る。仕方ない。大いなる支配者など存在しなく、目の前にそれがあるなどと期待するだけ無駄である。彼はよくやっているはずだ。理念に誤りはなく、ただ力不足だったに他ならない。はずだった。私は演練補佐を頼まれ、業務に携わった。メーリスの送信を頼まれた。このメーリス、楽々連絡網というソフトウェアを用いて行っているが、これは賛否両論ありラインに統一すべきではという声もある。私はこれは無能に優しくないと言って廃止を提言したが却下されてしまった。送信文を求めたところ提示された春秋杯の募集要項。嗚呼なんと効率的か。もう春秋杯の募集をするとは。そう感心し日付や送信者の名義を変え送信すると翌日訂正文の送信を求められる。変更要求として締め切りが昨年は6/15だったのが4/6になっていた。嗚呼なんと効率的か。それほど早くに募集すれば原稿を練る時間も確保できるというものだ。そこを訂正して送信する。また暫くして訂正要求を戴く。春秋杯ではなく五月杯だと。それもそうか。五月杯の募集をせずに先の募集をするなどと。たしかにこれは気づくべきだったかもしれぬ。私が無能でさえなければ、気付けた問題であろうと。まあこれは仕方ない。引き継ぎが完全ではなく直前であったこともあり、これは致し方ない事故であった。今後十二分な対策を考えていこう。無能は私だけではないのだから。然し事態はそうはならなかった。次の執行部会議のことである。私は書記局長を任されていたので議事録を取ることとなった。そこで渡された初めて見る議事録フォーマット。これを初見で理解して埋めろというのかと驚愕した。無能なわたしには質疑を上から下まで真っ直ぐに書き下ろすのが精一杯だというのに二次元のマスを埋めて行かねばならぬのか。然し議題が空白のまま渡されるとはどういうことか。私は書記をしながら今なんの議題がなされるのか初見で理解し文字に落とし込まねばならぬのか。議題と概要の違いとは何か。結論とは何か。ここに議事録を流し込めば良いのか?それでは限りなく縦長な議事録になるがいいのだろうか?結論から言うと議事は混乱を極めた。挙手せず発言をするし(これは野次として捉えることができ、議事録に残す必要がないとも言えるのだが、野次によって議事が進行してしまっていたので無視ができなかった)、発言が早いのでタイピングが追い付かない。それなので不完全な議事録しか取れなかったので代表に補完してもらわんとしたが、結局完成したのは「○○について ○○について決めよう 決まった」といったもの。私のタイピングを返してくれ。まあそこら辺は次回以降改善されるだろう。然し改善されないのでは?という疑念も残る。議事中に先に述べた私の失態について議事長が述べた。君達は働かなすぎる。私らはろくに引き継ぎなどなくとも自分から調べてやっていたぞと。どうやら現状を改善する気もなければ無能への配慮も考えてないらしい。まあ、一年も接していていれば察するぐらいはできたことだが、こうまで直接的に言われてしまうと悲しいものがある。私は無能である。無能にも優しい世界を求めている。私は無能である。私には世界を変えることなど出来ないだろう。私は無能である。然し、無能でなければ変えようとも思わないのかもしれない。私は理想郷を虚しく追い求める。