著作権の保護法益を考える覚書

単純に財産権としての性質を考えるのであれば財産権のそれをみればいいのだが、実際の所財産権として括れるものでもない気がするので改めて思ったことを書き記したい

生成AIの話を念頭に置くが、どちらかの意見を擁護するものではないし、説得する物ではない

 

 

著作権には作った人である著作者と、その被造物たる著作物がある。ここで人を大文字、ものを小文字アルファベットであらわすと、著作者Aが著作物aを作ったと表わせる(ここでは大小アルファベットの組をその著作関係にあることを意味することとする)

この組み合わせをA-a関係とするとき、それを他者に認識されることをA-a認識と呼ぶことにする

A-a関係には誤認として、

A-b認識(Aが作っていない物をAが作ったと認識される)と、

B-a認識(Aが作った物を別の人が作ったと認識されること)があり得る。

 

B-a認識は多くの人にとって問題であると認識されているように見受けられる。そして、多くの議論ではこれを前提としているようだ。財産権として見れば、この認識が成立するのはBがaを奪うことでしか成立しないので、これが問題であるのは自明のように見える。

 

対して、A-b認識は直観的にはAにとって問題であるようには思えない。が、生成AI周りはこちらの問題の方がAにとって問題であるように見える。

分かりやすいのがdeepnudeのような人物A(の顔若しくは体)に対し、人物Bの(或いは何者でもない)裸体bを合成し、A-b認識を成立させる時、人物Bの権利より、人物Aの権利がより侵害されているように感じられる例だろうか。(このとき当然Bの権利も侵害されているが、比較的問題とされていないようだ)

これを著作権における絵柄問題に対応させれば、絵柄がAの顔であり、生成された絵が裸体と言えるかもしれない。

 

つまり、その絵柄が特定の誰かが書いたものであるという認識を観る物に与えるとき、その絵がその誰かに帰属するように認識されるが、その誤認が問題であるのではないだろうか。

両方の誤認について考慮されていることを確認する必要があると思う