未完の弁論

記録用

要らない仕事ってありますよね。売り買いする誰もが得しない仕事。それどころか全く関係ない人まで損させてしまう仕事。ありますよね。そ、例えばアダルトビデオのモザイク処理なんかそうですよね。エロ同人誌の黒塗り(?)なんかもそうです。

 

ああいった規制っていうのは、作り手は得してませんよね。外部の圧力で部分的に画質を荒くさせられたんです。意図的な演出とは訳が違うんですよね。

買い手も得してない。見えないエロスを求めたいなら非常に非効率て画にならないモザイクなんかより、画角を凝ることで、それこそこないだのananの特集のような演出をすればいい訳で強制的に劣化した作品を、しかも劣化するための諸経費込みの価格で買わなければいけないこのどこが得しているのか。

 

しかも、別にそういうのに興味ないから、作らないし買わないからといっても損してしまう人たちもいる。それが我々である。ここにいる皆さまは弁論を作ったり関心を持っている方々であると認識しています。別に弁論に限る必要はありません。映像画像歌文章。なんらかの表現において関心を持っている。価値を持ってると思ってるあなた方が、これらアダルトビデオや同人誌の規制によって損する人なんです。

 

といってもアダルトビデオと弁論になんの因果があるのかと思う人もいるでしょうから説明します。アダルトビデオやエロ同人誌は製作者とは別の組織が中身をみてその修正が妥当か否かを判断します。場合によっては販売停止処分を下すこともあります。これをみて問題に感じませんか?そう、この修正、規制は検閲の形そのものなのです。我々の表現の自由憲法によって保障されていますが、表現の自由を守るためには検閲をしてはいけないと書いてあります。表現であるアダルトビデオやエロ同人誌を検閲するのは我々の表現の自由を脅かす行為になるのです。

 

そこで、皆さんの中から「あんないやらしいもの規制して当然だろ」なんていう方も出てくるかと思います。しかしながら我々は知っているはずです。表現に貴賤などないと。結果間違った主張であろうとも世に出してはいけない表現などないのです。良い表現と悪い表現を線引きする行為こそが検閲であって、表現の民である我々がその片棒を担ぐようなことをしてはならないのです。仮に良い表現と悪い表現があったとして、誰がそれをどうやって区別するのでしょうか。あなたでしょうか?我々の価値観というのは千差万別であって、あなたが悪い表現だと思っても誰かは良い表現だと思っている。あなたが良い表現だと思って世に出したとしても、誰かはそれを悪い表現だと思って不快に感じ、差し止めを求めることだってあるかもしれない。しかもその悪いと思われていた表現でさえも正しかった内容であったということは多々ある。誰も善悪を判断することは出来ない。だから僕たちは、それが政府という我々を代表した組織であったとしても、その善悪を判断させ差し止めさせることはしてはいけないのだ。

 

あなたの表現は至極まっとうで誰もがあなたの表現を良い表現だと思うかもしれない。そしてアダルトビデオや同人誌は卑猥な内容で悪い表現だから規制されて然るべきと思うだろう。でも、その良い悪いの程度というのは連続的でなめらかである。どこが良い悪いの境目かという基準はどこにもないし、あってもそれは時代によって変化する。実際同人誌の規制は年々厳しくなっていて、去年の方法で修正した同人誌が。これは悪い表現の範囲というのは拡大しうるということだ。性的なものへの規制なんて広がっても限界があるだろうなんて言う人もいるだろう。が、有名な心理学者は夢判断で様々なものを男性器の暗喩であると診断したように、性的なものへの結び付けというのは案外簡単に出来るものであり、いちゃもんしようと思えばいくらでもできるのだ。性的なものの規制から抜け出そうとした結果抜け出された先の概念が規制対象になった例もある。グーグルプレイには「私、茄子で飛びます」というゲームがある。これがアップストアでは茄子がネコに置き換わってしまっている。これは海外では茄子が勃起した男性器を意味するネットミームになっているからですが、日本ではナスはナスです。不条理に思いませんか?

 

では何故誰も得しない、我々を損させさえするこんな要らない仕事があるんでしょうか。利権でしょうか?

 

確かに日本ビデオ倫理協会は警察出身者を採用するなど天下り先となっているなどの指摘はありましたが、そもそもこの団体は警察による摘発が多発したために結成された組織であって儲かるものでもありません。審査されていない作品の摘発が多発したために審査されないとレンタルビデオ店では扱わないといった圧力によって権威付けはなされましたが、だからといって儲かるものでもありませんでした。

 

そもそも刑法175条における猥褻物頒布等に抵触するから先の団体があるわけで、問題はここにあると言えます。