人間に真の対話は出来るのか

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皆さんは本当の○○みたいな物について語り出す人に気をつけておいた方がいいでしょう。「それは本当の○○ではないよ」論拠なく言うそれは、なんだが説得力のあるような気がして惹かれてしまいますが、何も言っていません。

 

今回はこの話をするのは、人工知能が台頭しつつあり、人間の知能とは何かについて焦点が当てられたこと、そして、グローバリゼーションが進み、異質な人間と対話しなければならないことが増えつつあることによって着想したからであります。

 

人間に真の対話というのは出来るのでしょうか。真の理解としてもいいでしょう。人工知能には出来ない、「未知の概念を概念としてそのまま理解する」ことは人間には出来るのでしょうか。

 

人間の理解は「これが○○である」といった実物と「名前」を結びつけることによる理解とそれに基づく予想によって構成されている。(諸説ある)

 

これは結局、人工知能が目指すところないし現状出来ていることに過ぎないのではという疑念がある。

 

実際のところ科学的な話で思考について分析すれば、ニューロンとかいうものが電気信号を出したり受け取ったらする活動が集合してできているというじゃないか。人工知能も同様の仕組みを取り入れている。

 

このような思考形態は、人工知能の発展により、脆弱性が発覚した。

全く新しい概念形態をそのままの形で理解することは不可能なのではないか?

 

恐らくそもそも新しい概念形態をそのまま理解する必要性がないから発展しなかっただけで理論的には可能であるかもしれないし、不可能であるかもしれない。

 

人工知能は基本的に教師を必要とする。人間もまた教師を必要とする。形而上的なものをそのまま理解することはほとんど不可能に近い。必ず例え話などを使い歪んだ状態でしか理解できない。イデアと現象界をそのまま理解することは出来ず、洞窟のイメージを用いて理解しようとする。

 

勿論人間も人工知能も教師データを必要としない場合もある。ルールによって制限された世界であれば教師がいなくとも概念を所得していくことはできる。囲碁の攻略を人間のプレイデータを用いずに、人間より優れた手法でやることは可能になる。が、ルールを理解することは可能だろうか。

 

もし仮に、囲碁をする二人を認識して、その動きから囲碁のルールを理解することが出来たら、それはもう新しい概念形態をそのまま理解することができたと言って良いだろう。出来るのだろうか。出来ると良いなとは思う。

 

人間にも不可能だろう。ルールを口頭で説明されて、初めて理解する。しかしこれは未知の概念を理解したと言えるだろうか。

 

言語の習得はただその音声刺激と物を紐付けして理解したかのように振舞っているだけではないか。

知らないことを理解することは出来ないだろう。出来るのは理解したかのように振る舞うことだけである。

しかしそれでも我々は不自由なく暮らせている。我々が知っていることを切り貼りして新しい概念を理解したきになっている。それで十分であろう。

 

しかし、人工知能には出来ないが我々人間には出来ることは何だろうと問おうとすれば、それ以上のことを求められる。人工知能にも知っていることを切り貼りして新しい概念を得るといったことは可能である。が、そのまま概念を理解することは出来ない。人間に求められることはそれである。しかし人間にもできない。

 

それでいいじゃないかと思う。出来ないことを進化などによって出来るようになるのも不可能ではないだろうがコスパが悪すぎる。我々は理解などしなくとも生きていけるのだから。

 

とはいえ、我々が対話して新しいことを理解しよう、得ようと考えるとそうもいかなくなる。勿論従来のように知ってることを切り貼りして理解したように振る舞うことはできる。それでいいのだろうか。度々留学などして海外で新しい経験を積もうとする人などがいる。彼らはその程度の理解を望まないだろう。しかし、出来ないことは仕方ない。見せかけの知見を増やして帰るほか無いのだ。

 

理解出来ないならば、我々は異なるものと接する必要もないのではないだろうか。