やっと総括できる話

弁論弁論の話。

弁論は何ではないのかについて。

弁論はレポートではない。まして論文でもない。

弁論が扱う現状を追認してはいけない。必ずその在り方を否定して、より望ましい在り方について示さなければならない。この在り方は提示されていることが重要であり、それが実現可能であるかは些細な問題である。その在り方が瞬間的在り方として具体的かつ自家撞着なく提示されていることが望ましいが、そうでなくとも聴衆にとってそれと確かに連想しうる像があれば十分である。

 

弁士はただ理想を語り、その在り方を示し、それが現状とは異なることを示すだけで良い。それが出来ない弁士がリソースを語る必然性はない。

 

現在的に実現可能かつ実現が望まれている在り方は現状の他にない。また、将来的に可能になるかどうかは誰も論理的に導き出すことはできない。

弁士はただここではないどこか、己が理想像を示す他にすべきことはなく、それのみがすべきことである